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なぜ人気声優が不倫をしたのかを知りたくて、エスター・ペレルの「不倫と結婚」を読んでみた

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なぜ人気声優は不倫をしたのか。

絶対バレるのに、自分だけはバレないと思っていた?

パートナーのことは考えなかった?

自分の仕事への影響を考えなかった?

という問いを抱いていた時期がありました。私自身はその声優たちのファンというわけではなく、好きなアニメやゲームに出ていたり、その人が主役の作品の続編を待っていたり……くらいのゆるいオタクです。なので、熱意あるファンの人の切実な思いからは一歩引いた意識でいる、ということは最初に明かしておきます。

声優だけでなく、一世を風靡した女優や、人気お笑い芸人、好感度が高かった俳優が不倫をしたときも「なぜ?」と思ったので、私の問いを正確に書くと「バレる可能性が高いのに、有名人はなぜ不倫をするのか」というほうが適切かもしれません。

エスター・ペレルの「不倫と結婚」(晶文社/高月園子 訳)を読んで、その問いの答え……というか、結論から書いてしまうと「私がその問いを持つ無意味さ」がわかったので、自分の考えを整理するために書き残しておきます。

きっといつかまた確実に有名人が不倫して、私が「なぜ……?」と下世話な疑問を持ったときに振り返れるように。

目次

「不倫と結婚」ってどんな本?

著者はベルギー人の心理療法士エスター・ペレル

「不倫と結婚」はどのような本か。

著者はエスター・ペレル。ベルギー人の心理療法士です。

単行本のプロフィールによると、堪能な9ケ国語を駆使し、ニューヨーク市で心理療法士として開業するかたわら、Fotune500社企業の組織コンサルタントとして、世界中で活躍しているとのこと。

「不倫と結婚」は、セラピストとして世界中の膨大な数のカップルから悩みを聞いてきたペレルが、「不倫」について書いたもの。

この本の特徴は、不倫を「数字」ではなく徹底して「個々のストーリー」として捉えている点です。

何%の既婚者が不倫をする。不倫をする人の数%にはこういった傾向があった。というような「数字」や「統計」は、「不倫と結婚」にはほぼ出てきません。

ちなみに「何%の既婚者が不倫をするのか?」という問いに答えるのは、「何を持って不倫とするのか」という普遍的に一致した定義がないので難しいとのこと。「夫(妻)が隣の家の妻(夫)と何年にもわたってセックスしていた」だとわかりやすいですが、例えばチャットは? セクスティング(性的なメッセージや写真をスマホで送り合うこと)は? ポルノ鑑賞は? フェチ系のグループに入ることは? マッチングアプリの頻繁な使用は? 風俗は? 別れた恋人と連絡をとり続けることは?

このように何を不倫とするかは、人によってさまざま。しかもこういったデータ収集では「ことセックスに関しては、人は嘘をつく」という事実があり、さらに“許されないセックス”(=不倫におけるセックスなど)についてはよりその傾向が顕著。

なのでペレルは「個々のケース」から不倫を論じます。

それはケヴィンの場合、イライアスとリンダの場合、バーバラの場合……というふうに、無数の人たちのストーリーです。

「不倫をあらゆる方向から深く掘り下げた不倫大全」

例えば「立場変われば、話も変わる」の章に出てくる、ニューヨークで専門職についているヘザーの場合。ここでは「行為者・観察者バイアス」という状態について詳しく書かれています。

ヘザーは受胎能力のピークが過ぎようとしている女性。数年前、フィアンセのPCフォルダから、ある風俗嬢宛の倒錯したリクエストや待ち合わせに関するメールを大量に発見して破局。ヘザーは彼に裏切られたと感じ、しかも彼のほうから彼女を振ったことでより傷ついていました。

その後、ヘザーはライアンという新しい男性に出会い、お互いに一目惚れ。ライアンには妻がおり、ライアンもその妻も結婚生活が終わっていることを認めていたけど、子供にいつ離婚のことを話そうか慎重に相談していた段階。つまりまだ離婚はしていない。恋人に裏切られて傷ついたヘザーは、今度は自分が「既婚者の不倫相手」という立場になったのです。

ヘザーは「でも、私たちの関係は不倫とはいえません。ライアンの結婚は法的には終わってないかもしれないけど、他のすべての面で終わっているから」と言います。ペレルが「でも、彼の妻はあなたの存在は知らないんでしょ?」と突っ込むと、大急ぎで弁明。立場が変わったときに、彼女の不貞に対する概念が都合よく柔軟になったことにペレルは気付きました。

ライアンとヘザーは用心深く逢瀬を重ねていましたが、ついに妻の知るところとなります。ゆっくり慎重に離婚をすることに興味がなくなった妻は子供を連れて家を出て、一家族はいきなりバラバラに解体されました。

妻からすれば、不倫がどんな時期に起きたかは関係ない。「私たちの気持ちは徐々に離れていきました」という流れだったはずなのに、不倫されたことにより「ライアンに裏切られた」に。ライアンも「誰も傷つけないよううまくことを運ぼうとした」が「こんなこと、子供や両親にはどう説明すればいいんだ?」に。

ヘザーはフィアンセに裏切られた後に、まさか自分が“不倫をする女”になるなんて夢にも思っておらず、常々浮気をする人間に非常に辛辣で、その愛人たちに対してより一層批判的だった女性。

ペレルはこのように立場が逆転したせいで、不貞への批判が正当化に変わった話を聞くのは「初めてではない」と言い、社会心理学者が「行為者・観察者バイアス」と呼ぶ状態だと書いています。

「行為者・観察者バイアス」とは、他人の行動については、その他人の内面に原因がある。自分の行動については、自分の外側に原因があると考える傾向のことです。

さらに2歳の息子がいる、30代前半のジェシカの場合。夫が同僚と不倫していることを発見した1週間後に、ペレルに連絡してきました。ジェシカは、「不倫した夫をまだ愛している」という状態に苦しんでいる女性です。

ぺレルに相談する前、ジェシカが夫の不倫問題をオンラインの人生相談に持ち込むと、「別れなさい、そして過去を振り返らないで」「一度浮気した男は必ずまたする!」「彼を道端に蹴り出すべき」という助言が多かったそうです。

ジェシカは「私が相談したサイトのどれ一つ、私がまだ夫を愛しているという事実に耳を傾けてくれません」と混乱してぺレルに助けを求めました。

ジェシカは経済的に独立していて、別れるという選択肢もあるのにそれを選ばず、夫にもう一度チャンスを与えようとしている──つまり別れられるのに別れないでいる。そのことを、現代では「新種の恥」とする風潮があるとペレルは指摘します。

このように、「不倫と結婚」では“不倫と結婚”に関する本当にさまざまなストーリーが提示されます。人名と、不倫の詳細な背景、どういう経緯を経てその後どうなったかもしっかりと語られているケースが多いので、晶文社がこの本に「不倫をあらゆる方向から深く掘り下げた不倫大全」とキャッチコピーをつけたのも頷けます。

either/or (どちらか片方)ではなく、both/and (両方、どちらも)

ペレルは不倫に対し、複数の見地からアプローチを試みている人物でもあります。不倫をしたほう/されたほうの両サイドの考えを理解して、不倫が双方に与えた影響を探っています。「不倫をされたほう」の考えはよく共有されますが、「したほう」の考えはあまり公にされないので、ここがすごく面白い。

さらに不倫をしたほう/されたほうだけではなく、別の利害関係者である愛人や子供や友人たちについても考えを巡らせ、時には彼らからも話を聞いています(子供に話を聞くのは……と思うかもしれませんが、「不倫と結婚」を読むと70代同士の不倫みたいなのがザラにあり、子供といっても50代などのケースも多々あります)。

either/or (どちらか片方)式アプローチからは理解や和解は生まれない。浮気を破壊行為という観点からのみ見たなら、過度な単純化であるだけなく、なんの助けにもならない。反対に、被害を無視して私たち人間の探検心を称賛したなら、劣らず過度な単純化であるだけでなく、やはり何の助けにもならない。大多数のケースでboth/and (両方、どちらも)式アプローチのほうがはるかに適切だ。

「不倫と結婚」P16-17

と書いているように、基本的には夫婦(場合によってはその周囲も)と丁寧に関係を築き、詳細に聞き取り、時間をかけて夫婦に起こった出来事を紐解き、2人が前に進めるように手助けするのがぺレルの役割です。なので「不倫されたほうの味方! 不倫したほうが悪!」というようなシンプルな書き振りはなく、かなりフラットに不倫をとらえています。不倫にまつわる話題はネットでもかなり溢れていますが、冷静にセラピストという立場から、いたずらに怒りを煽ったり、どちらかを悪役に仕立てたりするのではなく、事例を紹介し、分析し、人間の不思議さに切り込んだのが「不倫と結婚」です。

第三者にとって「なぜ」は無意味

この360ページにおよぶ本に掲載された、さまざまな人間関係を読んでいると、

なぜあの有名人は不倫をしたのか。

絶対バレるのに、自分だけはバレないと思っていた?

パートナーのことは考えなかった?

自分の仕事への影響を考えなかった?

という問いが無意味に思えてきます。

正確に言うと、「その有名人の家族、もしくは有名人夫婦から相談を受けたセラピスト、直接の利害関係者以外の人(つまり私)には、あんまり意味がない」です。

なぜなら、彼らには彼らのストーリーや個別の状況があって、私にはそれを知る術はないから。

私たちが有名人の不倫を知るのは、多くは報道によります。そして報道からの情報は多くの場合、不倫におけるかなりの一部分でしかない。だから表に出てきたもの(=報道で知った情報)で「なぜ不倫したのか」を類推するのも無意味。「なぜあの有名人は不倫をしたのか」という「なぜ」はわからないので、私は「キャスト変更された」とか「活動休止した」とか「復帰した」とか、ファクトの部分を受け止めていく、というのが私の結論です。

自分宛に噛み砕いたメッセージを送ると、文春とかを読み込んで「バレる可能性が高いのに、なぜあの有名人は不倫をしたのか」を考えてもあんまり意味ないから別のことをしたほうがいい、です(下世話な好奇心が満たされるから読んでしまうんですが……)。

ペレルは「不倫と結婚」で、

それなりの数のナルシストや、色情狂や、浮ついた利己的な人間や、復讐に燃える人物に会ってきた。疑いもしなかった伴侶が、第二の家族の存在や、秘密の銀行口座や、みだらな乱交や、手のこんだ嘘の積み重ねを発見して不意打ちを食らうといった極度な欺瞞のケースも目撃してきた。

「不倫と結婚」P15

と書きますが、そのケースよりも「もっと頻繁に出会ったもの」として、

長年の歴史と価値観(しばしばモノガミーに対する価値観も含む)を夫婦で共有し、結婚生活を大切にしてきた真面目な男女が地味な人生航路上で繰り広げた物語

「不倫と結婚」P15

孤独、長年にわたるセックスレス、恨み、後悔、互いに対する怠慢、失われた若さ、気遣いへの渇望、偶然の出会い、過度の飲酒──これらがありふれた不貞の土台だ。こういった人々の多くは自身の行動と心の軋轢に苦しみ、私のもとに助けを求めにやって来る。

「不倫と結婚」P15-16

と説きます。不倫の動機もさまざまです。

不倫が何かへの抵抗を示している場合もある。単なる浮気心で軽く一線を超える人もいれば、別の生活への移行を求めている人もいる。倦怠感や新しいものほしさが火付け役になるケースもあれば、単に自分にもまだ性的魅力があることを証明したくて行う不倫もある。反対に、生まれて初めて知った抗しがたい圧倒的な愛を打ち明ける人たちもいる。矛盾するようだが、結婚生活を維持するために浮気する人も多い。夫婦が互いに虐待的になると、不倫は建設的なパワーになりうるのだ

「不倫と結婚」P16

そして9章「幸せな人も不倫する ──不倫の意味」では、結婚生活に深刻な問題がなくても不倫は起きるということを章1つ使って書いています。結婚に問題があるか、個人に問題があるかという2項目では説明できない状況が多いと。

つまり、1つひとつの不倫がケースバイケースで、外からは何もわからないんだと私は理解しました。「不倫と結婚」では、5章の「愛のホラーストーリー ──不倫の悪質度」で、周囲の人からのアドバイスの扱いにくさも取り上げています。

友人たちはしばしば軽はずみな判断を下したり、単純すぎる解決法を提供したり、「正直、彼(彼女)のことは一度も好きだったことはない」といった余計な暴言を吐きがちだ。極端なケースでは、友人や家族があまりにも怒って過敏になった結果、被害者の役を奪い取り、裏切られた当人が自分を傷つけた相手を庇うという奇妙な立場に立たされる場合もある。

「不倫と結婚」P113-114

ただ、「不倫と結婚」で一番力を割いていると私が感じたのは、不倫の破壊力です。「なぜこんなにも傷つくのか」を取り上げた4章では、

不倫の発見はそれこそ五臓をえぐられるほどの苦しみをもたらす。もしあなたがパートナーとの関係を壊したいなら、それも内側から完全に破壊したいなら、不倫は最も確実な方法だ。

「不倫と結婚」P74

という文章から始まる、胸が痛くなるようなジリアンとコスタのケースが語られます。ここが本当につらい。そこからどうに回復していくか……というか回復の難しさが丹念に紹介されていて、ペレルの書き振りはフラットなのに「(不倫した)コスタ〜!」と怒りがふつふつと湧いてきました(私は関係ないのに……)。

「個々のストーリー」を読んでいてわかるのは、どの不倫もそれぞれ独自の状況があって、一般化できない。でも矛盾することを言うようですが、どれもすごくありふれていて陳腐ということです。ペレルはけっこう頻繁に「セラピーで繰り返し耳にする」とか「こういう状況に陥ったのはこの2人が初めてではない」とか、「よくあること」であることを匂わせます。

私も「不倫をされた人のこの気持ち、ネットで読んだことある」と「不倫と結婚」を読んでいて何度も思いました。状況はさまざまですが、そこから生まれる感情と反応(不倫したほう/されたほうどちらも)はかなり共通していそうです。

現代では結婚に関する期待度が人類史においてかつてないほど高まっている

「なぜあの有名人は不倫をしたのか」という疑問とは関係なく、私がこの本を読んで興味深かったことを1つ挙げます。

現代では結婚に関する期待度が人類史においてかつてないほど高まっている、という指摘です。

3章の「不倫は変わった」では、結婚が「2つの家族の戦略的なパートナーシップ」から「2人の個人の結合」に変わったことを分析しています。過去数千年、結婚が「2つの家族の戦略的なパートナーシップ」だったとき、そこに愛が生まれたかもしれませんが絶対不可欠ではありませんでした。「愛している」と「結婚しよう」は繋がっておらず、結婚は2つの家族が経済的な生き残りを画策し、社会的な結合をより強固にする手段として使ってきたシステムでした。セックスは子作りのためで、男性の婚外交渉は容認されてきましたが、女性は「夫婦のベッドの外に出ることは極めて危険な冒険」であったと書かれています。

結婚は政治的で経済的な、計算尽くのもの。「真実の愛」のようなロマンスは、結婚のない場所(不倫など)に存在すると信じられてきた、と歴史家のステファニー・クーンツの言葉が「不倫と結婚」に添えられています。

でも現代で結婚は「2人の個人の結合」になりました。愛と情をベースにした、2人の人間の自由な選択へと変わっていきます。セックスも、子作りのための必要作業(=割り当てられた役割)ではなく、ただセックスをしたいから……言うなればリクリエーション目的になったと書かれています。

さらに「不倫と結婚」では、

私たちは安心感、子供、財産、世間体など伝統的な家族があたえてくれることになっていたものすべてを今なおほっし、かつ伴侶に愛され、欲情され、興味をもってもらいたがっている。夫婦は親友であり、悩みを打ち明け合う相手であり、おまけに情熱的な恋人であるべきだと信じている。

「不倫と結婚」P61

ということが繰り返し書かれています。

そう、かつて「結婚の外」に求めてきた「ロマンス」を、結婚の中に求めるようになったんです。しかも、「安心感、子供、財産、世間体など伝統的な家族があたえてくれることになっていたもの」も変わらずほしい。この指摘を見て、「わ、わかる〜!」と思いました。

なぜなら私はTL小説・TLマンガ・海外ロマンス小説大好き人間。

それらで描かれる男女は、だいたい親密さもあり、畏敬の念をお互いに持ち、関係性は永遠に思え、安心感があり、かつ危なっかしさやスパイスのようなリスクもある。

「海外ロマンス小説で書かれているから、結婚相手にすべてを求める人が多いのか?」と一瞬思ったんですが、逆ですね。「その現代人の欲求を、作家たちが敏感に感じ取って小説やマンガとして昇華してくれている」んだと理解しました。

もうB’zの「RING」が脳内で流れっぱなしです(欲しい、全部欲しい!)。

ここはかなり面白かった指摘でした。

ちなみに、人々が心理的にパートナーに大きく依存している現代は、より不倫の破壊力も強くなっている、という結論でこの章は幕を閉じます。

書ききれないほど事例や示唆に富んだ指摘が多く、不倫に対する単純なジャッジを超えて、より深い理解を求める人にはかなり興味深い1冊だと思います。

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