「金庫破りときどきスパイ」という翻訳小説を読んで、なんだか無性に感動してしまいました。
それはたぶん、「金庫破りときどきスパイ」がコバルト文庫をはじめとした少女小説……特に、私が夢中だった90年代後半から2000年代の少女小説の読み心地に似ているからです。
谷瑞恵の「魔女の結婚」「伯爵と妖精」、須賀しのぶの「キル・ゾーン」、毛利志生子の「風の王国」、荻原規子の「勾玉三部作」に「西の善き魔女」、清家未森の「身代わり伯爵」、雪乃紗衣の「彩雲国物語」、前田珠子の「破妖の剣」、氷室冴子の「なんて素敵にジャパネスク」「銀の海 金の大地」、etc……。
私の印象ですが、それらにはいくつか共通点があります。
- 主体性があり、憧れる&好感が持てるヒロイン
- 冒険と恋愛の割合が「8:2」くらいで、その「2」の破壊力が抜群
「金庫破りときどきスパイ」シリーズは、それにバッチリ当てはまる!
あらすじ
同シリーズのあらすじをざっくり紹介するとこんな感じです。
舞台は第二次世界大戦中のロンドン。
金庫破りを得意とするエリーは、伯父とともに入った盗みの現場で、ラムゼイ少佐に捕えられてしまう。少佐はイギリスを守るべく、ドイツ軍のスパイが持つ機密文書を手に入れる必要があった。
そのために機密文書が入った金庫を解錠できる人間を探していたのだ。エリーは投獄と引き換えに、少佐の仕事を手伝うことに。
24歳の自立した大人であり有能なエリーと、常に上から目線で命令してくる少佐はお互い第一印象が最悪。でも一緒にトラブルを乗り越えていくうちに少しずつ相手への認識が変わっていき……。
2024年7月現在、「金庫破りときどきスパイ」(1作目)と「金庫破りとスパイの鍵」(2作目)が刊行されています。
主体性があり、憧れる&好感が持てるヒロイン・エリー
まず、凄腕の金庫破りというヒロインの設定が珍しい!
エリーを育てたミックおじは錠前師で、その伯父といとこ2人とともに無人の屋敷に入り込み、金庫を破ってお宝を頂戴することを生業としていました。一家の裏の顔みたいなものですね。
しかし、いとこたちは戦争へ。エリーはいとこたちが戦っているのに何もできない自分に無力さを感じており、役割を果たしたいと思っていたところに少佐と出会いました。
金庫破りで培った手先の器用さ、観察力、暗闇を音もなく歩く能力、頭の回転の速さ、あまり芳しくない仲間たちとの絆などを駆使しながら、イギリスを守るという高潔な気持ちと、難しいことに挑戦したいという個人的な楽しみで少佐に協力します。
カールした黒髪に緑色の瞳のエリーは、作中で何度も美人であると書かれています。さらに出るところは出て、引っ込むべきところは引っ込んでいるという素晴らしいスタイル。
自分の魅力をちゃんと把握しているうえ、おじ譲りの社交性と愛嬌もあります。潜入捜査では持ち前のチャーミングさでいろいろな情報を引き出していました。
そんな有能で美しいエリーですが、彼女の魅力はなんといっても主体性。自分の意志と判断で行動していく力です。
ここがかなり重要だと思っていて。「なんて素敵にジャパネスク」の瑠璃姫、「彩雲国物語」の秀麗、「伯爵と妖精」のリディアたちに憧れたのは、自分がすべきだと思ったことを、自分の能力の限り行なっていた主体性があればこそ。時に(というかよく)痛い目にすら遭っていた、彼女たちの痛快な行動力に惹きつけられました。エリーにはそれがあります。
エリーは24歳なので、少女小説のヒロインより大人で安定感があり、世慣れています。
彼女はよく自分を鼓舞するように「そんな風には育てられていない」と言うのですが、それもまたいい。ミックおじと育ての母・ネイシーに対する愛情、また2人がどれだけ自分に愛情を注いでくれたか、そしてそれをいかに自分が完璧に受け取ったかという自負のようなものが見えて惚れ惚れします。本当にカッコいいヒロインです。
でも実は少女小説のヒロインのように不安定な部分も。ネタバレになるので詳しくは書きませんが両親に関することで、それが彼女の人生に影を落としています。
ミックおじやいとこ、ネイシーに愛されたがゆえの確固とした部分と、両親に関する不安定な部分。そのアンバランスなところが、読者と「金庫破りときどきスパイ」シリーズの男性陣を惹きつける要因かもしれません。
恋愛描写の破壊力が抜群すぎる
そして未読の方にいちばん伝えたいのは……恋愛描写がマジでヤバいってことです!(ガンギまった目)
- 冒険と恋愛の割合が「8:2」くらいで、その「2」の破壊力が抜群
これです。
本書はミステリ、冒険活劇、戦争ものなどいろいろな要素が組み合わさった物語。恋愛はいち要素であり、ロマンス小説やTL小説のように恋愛がメインではありません。
でも!!!! いち要素である恋愛の破壊力がすごいんです!!!!
実はこのシリーズは三角関係ものでもありまして……。どこまで設定を盛れば気が済むんだアシュリー・ウィーヴァー……。
エリーを取り巻く魅力的な男性が2人登場します。
ひとりはラムゼイ少佐。
イギリス陸軍の情報将校であり、伯爵の甥でもあるイギリス社会のエリートです。
ブロンドの髪とラベンダー色の瞳を持つ、おそろしく眉目秀麗な男性。
長身と見事な体つき、さらに戦士の雰囲気をまとっている。
厳格で堅物。ほとんど表情を動かさず、感情も読み取れません。
もうひとりはフェリックス・レイシー。
エリーやいとこたちの幼なじみで、昔からエリーと友情とも恋愛ともいえない曖昧な関係を築いてきました。
アンニュイな雰囲気と鋭く油断のない眼差しを併せ持ち、洗練された映画スターのようなフェリックス。
戦争で片足を失うという悲劇に見舞われ、少し陰のような部分が加わったものの、相変わらず魅力的な存在です。エリーたち一家の金庫破りという生業もよく知っているうえ、実は彼自身にも裏の顔があります。
最初にハッキリさせておくと、私はラムゼイ派です!
なのでラムゼイの魅力を中心にお伝えしますね。
このシリーズ、「スパイ×恋愛の美味しいところは全部やる!」という気概に溢れているのかなんなのか、1冊目の「ラムゼイとエリーが恋人のふりをして潜入捜査、からのバレそうになってラブシーンを演じる」とか、2冊目の「ラムゼイとエリーが夫婦のふりをしてイチャつく、からのふたりっきりでホテルで見張り」とか、定番にして王道のエピソードをこれでもかと入れてくれています。ありがてえ。
ラムゼイ少佐の内面がまっっっっっっっったく読み取れず、本当に1行2行の表現でほんの少しエリーに対する気持ちを匂わせてくるのですが、その破壊力たるや。
堅物で禁欲的な情報将校が、ふとした瞬間にエリーに見せる官能的な仕草。表情。セリフ。
ラムゼイ少佐がエリーを見ながらちょっと口角を上げただけ(笑ってすらいない)で胸のときめきが止まらなくなり、フェリックスがエリーの家に泊まったと知るや自分もエリーの家に行ったのは情報を伝えるためだけ……? それとも嫉妬なの……?と情緒を乱されまくり(私が)。
昔の少女小説も、基本的には少女の成長がメインで描かれていて、ほんの少し混じる恋愛の破壊力にノックアウトされた印象ありませんか? 本当にそれなんですよ……ラムゼイ少佐は……。
エリーとバチバチの主導権争いをして失礼な物言いをした後、「きみが傷つくのを見たくはないんだ」って実は心配していたって知ったとき、私は……私は……。
訳者はロマンス小説の翻訳を数多く手がける辻早苗さん。
「このロマンス小説、面白いな〜!」と思うと辻さんが翻訳していた、ということがよくあります。今回の翻訳も素敵で、安心して読めます。
かつて少女小説に夢中になった大人に本当におすすめなので、ぜひ読んでみてください。