このところ、「私は中年期をどう生きるべきか」を考えてます。
「中年の危機」が自分に起こりそう、と思ったことがきっかけです。オーバーワーク気味だった20代の頃は仕事をこなすことで精一杯だったのですが、ある程度コントロールできるようになった30代中盤の今、このままだと今度は人生を空虚に感じてやる気を失ってしまいそうだな……と。
「どう生きるべきか」といっても生きるしかないのですが、先人たちはどう考えて/何をして中年期を生きてきたのかを知りたい。参考にさせてほしい。
ということで、そういう本をたくさん読んでいこうと思っています。そのなかで面白かった本は、自分の備忘録としてブログに書いていきます。
今回レビューするのは、最近読んで面白かった「私がオバさんになったよ」(ジェーン・スー)です。
「自分はおばさんである」と思えるようになるまでに、1つ壁があった
ジェーン・スーさんの「私がオバさんになったよ」。タイトルに惹かれて買いました。
ちなみに、岡田育さんの「我は、おばさん」も買っています(が、まだ積ん読しています)。タイトル、似てません?(笑)
この2冊を手に取ったのは、自分のことを「おばさん」と称してるのが気になったから。
というのも、多くの女性にとって「自分はおばさんである」と思えるようになるまでに、1つ壁があるんじゃないかと思っていて。少なくとも私はそうでした。
(これは自称の話であって、甥や姪以外の他者から「おばさん」と呼ばれることにはまた別の壁があるのかな、と思ってます。もちろん個人差があると思うので、いろんな人に話を聞きたいなあ)
「私がオバさんになったよ」のまえがきに、こうあります。
「私がオバさんになったよ」と言われると、少しだけ心がざわつく人に届いてほしい。そのざわつきは、読後いくばくか解消されているはずだ。たったひとつの正解しかなかった親の世代とは異なる私たちが、これから先、楽しく暮らしていく手がかりがこの本にはちりばめられているから。
人生、折り返してからの方が楽しいかもしれない。
「私がオバさんになったよ」より
そう、まさに私が「少しだけ心がざわつく人」。でも人生の先輩が「人生、折り返してからの方が楽しいかもしれない」と言ってくれると、希望が生まれます。
「私がオバさんになったよ」は、ジェーン・スーさんが過去に対談した相手のなかから「もう一度話したかった」と思った人と、テーマを特に設けず対談する、という趣旨の本。
下記の8人と、ジェーン・スーさんのそれぞれの対談が掲載されています。
- 光浦靖子さん(お笑い芸人)
- 山内マリコさん(作家)
- 中野信子さん(脳科学者)
- 田中俊之さん(社会学者)
- 海野つなみさん(マンガ家)
- 宇多丸さん(ラッパー、ラジオパーソナリティ)
- 酒井順子さん(エッセイスト)
- 能町みね子さん(文筆業)
ちなみに能町みね子さんだけは例外で、過去に対談の機会はなかったけどじっくり話をしてみたかったからオファーしたとのこと。
このなかで、私が特に「面白い!」と思っていろいろメモを取ったのは、中野信子さんと田中俊之さんの章。メモった箇所を書き、自分の考えを書いてみます。心に残ったということは、そこには何かしら「私は中年期をどう生きるべきか」のヒントがあるのでは?と思ったからです。
中野信子さん×ジェーン・スーさんが語る「自分の頭で考えないといけない時代」
中野信子さんとジェーン・スーさんの対談では、「自分の頭で考えないといけない時代」ということを語っていました。
スーさんは「サバイブするために必要な能力とされるものも、すごい速さで変わってきている」と言い、新卒で入った会社にずっと勤めていたら安泰という時代や学歴神話の終焉を例に挙げています。
またスーさんの「言葉の定義に慎重になりすぎて、よくわからなくなってる時にバーンと決めつけを言う人が出てくると魅力されたりね。言い切る人が好かれる。思考や決定を人に預ける方が楽だから」と言う言葉には深く頷きました。
私もよく「誰か決めてくれ〜!」って思うんですよね。特にマンションを購入するとき、内装を決めなきゃいけないときにずっと「誰か決めてくれ〜!」と言っていました。要は、まったく門外漢なことをイチから学び、決めなきゃいけないことが本当に億劫だったんですね。
ちなみに、マンションを購入した際に造作(特注)で本棚を作った体験談を書いています(大変だった……)。
そして対談では、脳科学者である中野さんの得意分野に。「認知負荷」という概念を提示し、「(人間にとって)脳はものすごくリソースを消費する器官なので、本当は普段はあまり使いたくない」「脳はスリープ状態でも6割くらいの働きがあって、休んでいてすら酸素やブドウ糖をバクバク使いまくる」と説明します。
「本当は普段はあまり使いたくない」から、意思決定を迫られると人はイラっとする。「そのイラっが、脳を60%から100%使わないといけない瞬間。使わすなよ!!って負荷を感じてイラッとする」そうです。
私は仕事で決断を求められることが多くなってきました。ストレスも増えているのですが、「これは脳が意思決定を迫られているから負荷がかかってるんだな」と客観的に認識できれば、多少は気が紛れたり解決方法が見つかるかもしれない。
脳を使いたくないからといって、言い切ってくれる人の意見に従ってしまうのはけっこう危険な兆候です。スーさんも「自分で考えなきゃいけないからこそ、『強くてわかりやすい』が好まれる時代」と、政治の問題に言及して危機感をあらわにしていました。身近なツールだと、X(Twitter)で強い言葉で言い切る人の意見に感化され、怒りを増幅されたり極端な意見に偏ったりしてしまうのは本当に怖い傾向だなと思っています。
ただすべてを自分で決めるのは本当に大変だしそれこそリソース不足なので、メリハリをつけるのが最善手なのかな。例えば前述の「マンションを購入するとき」はローンの問題があるので、脳に負荷をかけても自分で調べ、人に聞いたり本を読んだりいろいろ勉強し、自分で判断しないといけない。でも「マンションの内装」だったらインテリアコーディネーターさんに全部お任せする、とか。
そのインテリアコーディネーターを決めるのも大変って話なんですが。。
また、「思考や決定を人に預ける方が楽」であり、そちらに流れがちであるなら、「ネガティブ・ケイパビリティ」という考え方は重要だと再確認しました。ネガティブ・ケイパビリティは「もやもやを抱えておく力」。どうにも答えが出ないことや、急いで答えが出ない事態に耐える能力です。答え・理由をすぐに求めがちな現代人が、深い理解をするために大事な力だと言われています。この「私がオバさんになったよ」ではないのですが、最近読んだ本に2連続で登場した考え方なので印象に残っていて。
対談を読んでいて「自分で考えなければいけない時代だからこそ、『私は中年期をどう生きるか』を考え続けることはきっと大切。すぐには答えが出ないだろうけど」と思いました。
「化城」と「不滅のあなたへ」
さらに中野さんとスーさんの対談で心に残ったのは、2人が話していた「化城」という言葉。
法華経(釈迦の教えを編纂した経典の1つ)に「化城」という概念が出てくるそうです。
少し長いですが、中野さんの言葉を引用します。
リーダーが人々を砂漠のなかで率いて、幸せになれるという場所へ導いていく旅をする。食べ物が尽き、悪条件が重なって、みんなが旅なんかもうやめようと文句を言う。その時、リーダーは神通力で城を出すんです。神通力、というのはまあこの辺は仏教説話なのでね。旅の一行は、その城で一晩の安らぎを得たあと、朝になって気づくと、その城は消えている。この城が、化城です。そして旅は続く、ちゃんちゃんという話。
「私がオバさんになったよ」より
中野さんは、この「化城」をドーパミンの分泌で説明していました。ドーパミンは「意欲」や「快楽」に関係する神経伝達物質です。
よく考えると、あれ、この一行は本当にこのあとゴールに着くの? と思うんだよね。ゴールにたどり着いたら、そこはまた化城なんじゃないの? って思うわけ。ちゃんとしたゴールの城なんて、本当はいつまで経っても現れない。なぜなら私たちはその城に着いたら、それを壊してしまうようにできているから。出て行くしかない作りだから。それでも、ゴールに見せかけた化城がないとダメなんだよね。ドーパミンが分泌されず、生きていくことができない。
「私がオバさんになったよ」より
ちなみに「化城」を調べてみたら、「化城宝処(けじょうほうしょ)のたとえ」というたとえ話が出てきました。この妙昭寺というお寺のブログがわかりやすかったです。
本当のゴール(=宝処)に辿り着く前に意欲を失ってしまう人間を前進させるために、あえて仮のゴール(=化城)を示した、というお話でした。
中野さんによると、人間は期待感をモチベーションにして生きているそうです。例えば「焼き鳥の匂いがする」「友達と焼き鳥に行く約束をした。その日が楽しみ」という期待感の高まりによる喜びのほうが、実際に焼き鳥を食べる喜びそのものより大きい。食べてる状態は幸せの絶頂ではなく、次のよりより食べ物が欲しくなる。人はそういう業を背負っていて、今の状態に満足しないようにできている、と。
となると、仮のゴール(=化城、つまり焼き鳥の匂い)のほうが、本当のゴール(=宝処、つまり焼き鳥を食べたこと)よりドーパミンが出てワクワクするんでしょうか。そうかもしれないです(笑)。
スーさんは「自分の内側にガンダーラ(=指針)を探したらダメ」と言っていて。余談ですが、スーさんはガンダーラを「化城のたとえ」として使っているように読めました。でも、ガンダーラはどちらかというと宝処(=本当のゴール)な気がする。「ガンダーラ(=ユートピア)に辿り着くために、化城が必要」というほうが解釈としてしっくりきます。うーん、でも私の読み込み不足かもしれません。中野さんが「ちゃんとしたゴールの城なんて、本当はいつまで経っても現れない」と言っているのですが、その「ちゃんとしたゴール」が宝処だとすると、「そんなものはない」という前提のもとに2人が話してるのかもしれません。
でも、「自分の内側にガンダーラを探したらダメ」というのは「本当にそうだな〜!」と思いました。スーさんは「鷲田(清一)さんの本に、自分自身とは、他者との関係性のなかにしか生まれないと書いてあって、すごく腑に落ちた」とも言っていて。
この化城のたとえと、「自分自身とは、他者との関係性のなかにしか生まれない」という箇所を読んで、私が思い出したのは「不滅のあなたへ」第1話です。
第1話はマガポケで無料で読めます。
「不滅のあなたへ」第1話に出てくるのは、雪深い集落で、豊かな土地を求めて去った仲間をたった1人で待ち続けていた少年。その少年は、「豊かな土地」について「まるで楽園のような場所」「僕らよりずっと賢い人達がいて毎日幸せに暮らしてる」と定義しています。つまりユートピアです。
少年はある日、オオカミを連れてその豊かな土地を探すため旅に出ます。その途中、仲間が残した矢印(↑)が刻まれた石を見つけます。この矢印は、化城というには些細です。化城なら、豊かな土地の幻を見ないといけないから。でも、少なくとも自分の向かっている方向に仲間が向かったという道標です。どうしようもなく孤独な少年にとって、それは自分以外の人が自分に残したメッセージ、つまり希望でした。ドーパミンが出たり、モチベーションが上がったかもしれません(ちょっと曖昧な言い方なのは、私はその頃には少年は孤独でもう正気を失いかけていたと思ってるからです。「豊かな土地」なんてなくて仲間は辿り着けなかったと理解していたけど旅に出ずにはいられないほど追い詰められていたのかな、と)。矢印を見て「あーわくわくする……」「最高に自由だ…」と言い、矢印の方向にどんどんと進んでいきます。そうして……。
さらに「不滅のあなたへ」第1話には、「何者かが地上に投げ入れた球」が出てきます。この球は何かに触れることで刺激を受け、そのものに変化します。最初は石、次にコケ、そしてオオカミ。たぶん「他者に触れる(=関係性ができる)」ことが、球にとっての刺激になる。そうやって球は、意識を獲得し、次第に自我を確立していきました。球しかない場所であったら、球は意識や自我を得ることなく、ずっと何者でもない球のまま。私はスーさんの言う「鷲田(清一)さんの本」を読んでいないから真意は掴めてないかもしれないけど、今のところ「自分自身とは、他者との関係性のなかにしか生まれない」に関して、私はこういうイメージを持っています。あとで読んでみて、答え合わせをしてみたいですね。
ジェンダー問題に関する金言だらけの田中俊之×ジェーン・スー対談
田中俊之さんとジェーン・スーさんの、ジェンダーをめぐる問題に関する対談も本当に興味深かったです。田中さんは「男性学」の専門家。男性学とは、男性が男性であるがゆえに抱える悩みや葛藤といった問題を社会構造や歴史的背景と関連づけて考察する学問です。
中野さんとスーさんの対談は脳が刺激されていろいろ考えたのですが、田中さんとスーさんの対談は「そうそう!そうなんだよ!そう言いたかったの」とたくさんメモる、という感じの内容でした。日頃モヤモヤしていたけどあまり考えずにいたことを言語化してくれたイメージです。
特にスーさんのこの言葉は、多様性が大事な理由を具体的に示してくれています。
今、企業と個人の対峙の仕方が昔と大きく変わってきて、企業と個人は一対一の関係になりつつあるじゃないですか。企業はすべてのことに当事者意識を持たないと炎上を生みかねないわけです。それを防ぐためにも働いている人の多様性が不可欠なはずですが、そこにピンとくる経営者が少ないんじゃないかと。例えば、誰かが「これはマズいんじゃないか」と思った時に、「そうですよね」ってピンとくる人、同意する人が誰もいないと、たった一人でなぜこれがマズいかを説得して回らないといけない。毎度毎度それって、すごいカロリーですよ。社内を説得する時間で他の仕事をする機会が潰されていく。そうなるとやっぱり「一人で声をあげるのもなぁ」と億劫になることもあると思うんです。結果、見過ごされてオムツや生理用品のCM炎上につながっていく。
「私がオバさんになったよ」より
私が言語化できていなかったので明快に話してくれて膝を打ちました。同質的な集団ではもう企業と個人の関係に対応できないんですよね。
ここもメモった箇所。
ピンとこなかった人の「うっかり」をすぐに責めないのも大切かも。ワンストライクまでは互いに見逃そうよというセンスが必要なのかな。(ジェーン・スー)
男性も女性もなにかあったら怒るべきというのが今の風潮として強いけど、我慢すべきではないという部分では私も賛成ですが、目的が感情を発散させることなら、チャッカマンみたいな怒りは仇になるだけでしょう。(ジェーン・スー)
結局、その場で感情を吐露してスッキリしたいだけなんですよね。怒りを表明して、そのあとにどのような影響があるのかを考える必要はあるでしょうね。(田中俊之)
「私がオバさんになったよ」より
X(Twitter)を思い出して頷きました。Xは感情増幅装置だから「不快にさせられてる」「怒りを煽られてる」ことが多くて。そこに意識的でないと、悲劇に加担することになる。
そして、一番読めてよかったのか下記です。
得意なことを得意な方がやればいいじゃんって三年前は思ってたんですけど、得意な方が得意なことをやってもストレスは生まれる。得意というのは効率が上がるだけで、ストレスがかからないわけじゃない。
「私がオバさんになったよ」より
私も得意で効率よくできることはあるけど、ストレスがかからないわけじゃないんですよね。効率とストレスは別。
田中さんとスーさんは「男女が仲良くするためには思考のコアマッスルを鍛える。考えることをやめない。変わることをおそれない。間違えた時にふてくされない。自分を刷新していく」ということと、「何歳になっても学び続ける」「好奇心の有無が生死を分ける」ということを結論に、この対談を締めています。
この結論を忘れず、そして実践できれば「中年の危機」が来ても対応できる気がする。
今の私には中野さんと田中さんのお話がしっくり来ましたが、ほかの人たちとの対談も面白かったです。気になる人はぜひ読んでみてください。